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メモ③ 日本人の働き方について ~未編集 現状編

2009年01月06日

日本人の働き方について
           
昨年は経済界激動の年だった。
春は原油の高騰、
夏はサブプライム・ローンの焦げ付き、
秋はリーマンブラザーズの倒産、
そして冬には円高による自動車業界の赤字転落からの派遣切りなどなど。
なんでも百年に一度の金融危機だったという。
・・・皮肉なことだが、これは経済について学ぶにあたって、またとない機会であった。
そして、労働について学ぶのにも、良い機会であったのではないかと今にして思う。

『労働について考えるということは、自分の時間の使い方について考えるということ。
伊達に経済の基本要素ではないし、〝要素〟なんて無味乾燥な一言で片づけられるものではない』そういうことですよね。

そもそも、〝行間を読む〟という言葉に釣られてこのゼミを受けなければ、労働問題について特に考えることもなく社会に出ることになっていただろう。
また、労働問題についての本を読むこともなかったはずである。
ここが何事においても、特に読書をしていく上で、気をつけていかなければならない点だ。
狭い範囲の見識だけに囚われていては〝行間を読む〟ことなど、到底できないのだから。

さて、では〝行間を読む〟ためには何が必要なのか?
私は、〝問題となっている物事の(その時点における)正しい背景知識〟なのではないかと考えている。
このゼミで提起された労働問題、それについての最低限ともいえる背景知識を私は持っていなかった。
・・・いや、少しは知識を持っていたにしろ、それは実に曖昧なもの・断片的なものだ。
例えば、〝最近の父さんは夜遅くまで残業しているなぁ〟とか、〝昨年の過労死の件数は~〟などなど。
・・・故に、ゼミの参考文献である『仕事と日本人』を読むのには苦労した。
自分の中に労働問題についての基盤を積み上げていく作業なのだから当たり前ではある。

しかし、こうも思った。
「もっと早くから労働について考えておけば、こんなに苦労することもなく読めただろうに」と。

 これはちょっと不思議な話で、小・中・高校と、「あなたはどのような仕事をしたいのか?」とはよく問われてきたものだが、その一歩先である「じゃあ、今の労働事情はどうなのか知っているか?」と問われることはまずない。
自分からその問いを作り、答えていかなければ道は開けない、ということらしい。
 
今回は『仕事と日本人』の他に、『働くということ』という本も読んでみました。
他の参考文献は立川にある大きな本屋にも置いてなかったので今回は断念。新書なら置いてあると思っていたのですが・・。
今回はこの二冊に
西洋経済史の参考文献である、『ヨーロッパ≪普遍≫文明の世界制覇』(中川洋一郎著)の内容を混ぜて論じてみようかと思います。

閑話休題。

締め切りが近いと、どうも切羽詰まって話が脱線しやすいようです(締め切り前日の夜まで後回しにした自分が悪い)
ここから本題、『日本人の働き方について』に入ります。


 さて。わざわざ〝日本人の~〟とあるからには、まず〝日本人の〟イメージについて知ることが肝要でしょう。
大手新聞社が採ったアンケートによれば、諸外国における日本人のイメージは、
「勤勉」「礼儀正しい」「集団的・組織的」「ルール・規律を守る」といったものだそうです
(特亜・・中国・韓国からのイメージは最悪でしたが、それはお国柄ということで)。

このようなイメージは、日本国に於いても健在なようです(統計数理研究所の国民性調査より)。
これは日本では古くから「勤勉なのは良いことだ」、「働かざる者食うべからず」という考えが広く浸透しており、また第二次大戦からの急激な高度経済成長を達成できたのは
皆が一丸となって一生懸命に働いたからである・・・という自負があるからこそのものでしょう。

土地も資源も無いこの小さな国がここまで発展することができたのは、それこそ「働くことは良いことだ」と抵抗することなく受け入れることができる国民性に依るところは大きいと思います。

諸外国、とりわけ西洋諸国には、古くから・・それこそ古代ギリシャ時代から、働く(労働する)のは奴隷にさせ、自由人が政治をやるものだという文化が根底にあります。
自由人たちは生活資料を得るための労働をする必要がなく、政治と軍務のみに専念するようになり、農作業から商業活動、工業活動まで奴隷にさせるようになったので、「労働は奴隷がする、だから労働は卑しい行為である」という労働蔑視の思想が芽生えたわけです。

ここで日本と西洋とで圧倒的に異なる点として、
① 日本は島国で、西洋は陸続きの大陸である
② 日本には基本的に奴隷制度がなかった
③ 自然に対する考え方の違いと宗教
④ 『労働』という一般的な概念を表す言葉も、一般的な社会的機能としての労働という観念が発生する歴史的時点の差

・・・以上の四点について考えてみます。


①について。
日本は島国であるがゆえに、他国からの侵略も無く、(アイヌ民族は例外として)お互いの言葉も通じ、単一民族意識が高かった。
運よく大陸から渡ってきた渡来人に対してもそれなりに友好的だったからこそ稲作も広まったのだろう。
それに対して、西洋は広く陸続きであるがゆえに言葉も通じないバルバロイ(異邦人)と対立することも多く、戦争で捕虜になり奴隷にされた者の大半はバルバロイであった。
自らの共同体を守るためとはいえ、他の異邦人に対する隔絶の思想、敵対の思想を16世紀・・大航海時代における新大陸の〝発見〟まで持ち続けたようである。


②について。
もちろん、日本国内での戦争で負けた国の人々は身売りに出され、買われた先で奴隷として働かされた者も多い。
が、ローマのように奴隷の制度はなかった(貞永式目より)。
このことは、西洋における〝自由人と奴隷〟のような様々な仕事に対する境界線を薄くする効果があったのではないだろうか?
武士といえども、内乱が無い限りは畑仕事もしていたようだし。
労働蔑視の思想は生じにくい環境にあったのではないだろうか、ということである。


③について。
『仕事と日本人』にあったように、そも、日本人は時間に囚われることなく、自然と共に生き、共存することで満足していた。
宗教にしても、仏教は自然との調和を良しとするものである。

それに対し、西洋の主流であるキリスト教はどうか。
キリスト教では、まず神が世界を作り、最後にアダムとイヴを創造するのだが、アダムはまずすべての動物に名前をつけ、動物すべてに対する支配権を確立する。
神はこれらのことすべてを人間の利益のために、また人間に対する命令として計画している。
つまり、神が創造したものすべては人間のために仕える以外の目的をもっていない。
しかも人間は神の像を象って作られたものであり、自然の単なる一部とはみなされていない。
自然から神性を奪い、人間の一部とすることがキリスト教の真髄であると言える。
これでは自然と調和する、などという考えが浮かぶこともあるまい。
限りない自然を支配下に治めるために時間に追われ、効率化を進めざるを得なかったのも仕方ないことだろう。
だからこそ、明治初めに日本を訪れた外国人の方々の目には「日本人は怠惰である」と映ったのであろう。

 
最後に④について。(自分は未だに日本にも古来から〝労働〟という言葉が無かっただけで、〝労働〟という概念はあったのではないか?と思っているのですが、それは置いておいて)
 日本で〝労働〟という言葉・概念が出来たのはこの百年のことである(仕事と日本人より)のに対して、西洋では古代ギリシャから・・自由人と奴隷とに分かれた時から〝労働〟という言葉・概念が出来たとのこと。
この時間の差は大きな意味を持つ。どちらがより労働に対してマイナスのイメージを持っているかを考えれば自ずと分かるだろう。


 ・・・長くなってしまったが、以上の四点から、日本は西洋に比べて労働に対して抵抗が少なかったと考えることは出来ないでしょうか?
 
では、次は日本人が労働に対して抵抗が少ないがゆえに起きている働き方の弊害について考えてみます。
日本人の働き方による問題点。それは、過労死・自殺の多いことからも分かるように、働きすぎ・残業の問題です。

週休二日制など、規定された仕事時間そのものは減少傾向にあるのに、増える過労死・自殺数。
そこにはケインズが「二十一世紀の初頭には、私たちは週十五時間程度働けばすむようになる」と予言したのと逆の方向に進んでいる現状があるようです。

もちろん、残業するのは所得を増やしたいという考えもあります。
が、どうも働く人、会社側の双方に「残業は会社のために良いことである」という認識が根強くあるのではないでしょうか?
まぁ、この認識は大切なのですが、残業の日々(しかも有給休暇を取らずに)で睡眠時間が削られ、健康を害す・・仕事以外のバランスを崩してしまうということも決して少なくないと思います。

そんなこともあり、最近になって、ようやく「ワークライフバランス」の重要性が問われるようになってきました。
仕事はしっかりするにしろ、〝自分の生活を豊かにする〟という最終目標を見失わないことが大切、という考え方ですかね。
ここで「生活を豊かにするにはお金がいる。だからもっと働かなければならない」と言いたくなるのも分かるのですが、それでは延々と働き続けなければなりません。
(ああ、働くのが好きな人は好きにすればいいですよ。ここで問題になってくるのは「自分が嫌いな仕事を続けている人」や「働きたくても働き口がない人」、「働いても生活が苦しい人」たちのことですから。)

この連鎖を断ち切るには、

①  仕事を面白く工夫するか、
②  労働運動により賃金を上げる、そして
③  質素倹約を旨とする、
④  国が政策を展開する

・・などが挙げられるでしょう。

まず、①が出来るのなら苦労しないですよね。仕事中毒な人は①が出来る人たちでしょう。

つぎに、②について。
今時、労働組合に入って労働運動をしようなんて熱心な赤い人たちははっきりいって、いません。
この大学には「九条で窮状を救おう!」なんて謳っている人たちがいますが、この人たちはそもそも九条の意味を理解しているのでしょうか?
「あなたの不安が私の平和を脅かす」の平和から九条を持ち出しているのでしょうが、ちょっとしたお門違いではないでしょうかね。

年末に開かれた派遣村にも九条の会が絡んでいたようですが、その派遣村をなぜ日比谷公園で開いたのか、またあまりにも準備不足な物資にしてなぜ一月五日までの期間だったのかを考えれば、すべて同じところに行き着きます。

それは、派遣切りされた人々(ホームレス多め)を取り込んだ大規模なデモを起こすためではないのでしょうか?
国会までデモ行進するにちょうど良い立地、
通常国会が始まるのも五日からであり、
物資が足りないので厚生労働省の講堂を開放させたと思えば、
今度は税金による生活保護を訴える始末。

本当に仕事を探して困っている人たちは、この報道にむしろ憤慨したのではないでしょうか?
そもそも派遣村の日程にデモが入っているのに違和感がある。
また、企業の経営が悪化したらまず広告費や派遣が切られるのは当然のことであり、分かっていたはず・・・。
これについては④にて。

ちょっと脱線しましたが、③について。
これが一番平和で、また「ワークライフバランス」を考える上でもなかなか良いやり方ではないでしょうか?
「生活のレベルが少し下がっても、心の豊かさがもう一段上昇すれば、失うものは何もない」というヘンリー・D・ソローさんも言ってるじゃないですか。それでも厳しいというなら、

最後の④国の政策に期待するしかありませんね。
最近になって急激に増えた派遣社員の割合。
それは企業にとって「トカゲの尻尾切り」の尻尾を伸ばすこと、柔軟性・フットワークを軽くすることなのですが、
さすがにちょっと尻尾、切りすぎじゃないかな?と思います。
尻尾に腕を切られることにならなければ良いのですが。
企業も労働者に冷たくなってきていますが、今回は多数のために小数を犠牲にしたというところですか。
企業はそれでも良いでしょう。
が、国はどうにかして失業者を守らなければならない。
国が自国民を助けるのは道理だからです。
(だからこそ予算を組む前に解散しろと叫ぶマスコミには呆れているのですが)
派遣村に来れないような、本当に困っている人たちこそ救えるような政策、ないのでしょうか。
ワークシェアリングの考えはもうちょっと浸透しても悪くはないと思うのですが。


・・・などと長々と書いてきたのですが、読み返してみると、これは本題の『日本人の働き方』と随分ずれてきていますね。困ったけどもう引き返せない。

 まとめると、

日本人は集団・組織的性格があり、
かつ労働に対する負のイメージが西洋諸国に比べ希薄である。

が、故に勤勉は美という風潮から働きすぎる傾向がある。

高度経済成長期までは企業側も社員を家族のように扱い、定期雇用という制度が確立したが、
バブル崩壊後は株主利益追求の方向に流れがかわり、企業の柔軟性の為にも派遣社員を多く雇うようになった。

定期雇用という後ろ盾をなくしたうえ、分業による効率化から労働者は働くことに不安と退屈さを感じはじめている。
このことが自殺問題など社会に与えている影響は大きい。

これからも日本人にはどんな仕事であっても、自分なりの工夫で楽しいもの変えていく力量が問われてくるだろう。

こんなところか。
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