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英語対策日本語訳③

2009年07月10日

水を巡る権利 ~無駄使いが溢れている

取引可能な水の使用権は世界の水問題を克服する上で(理にかなった)有効な手段である。
政治を表す中国の言葉は、高台あるいは堤防のとなりに3滴の水のような文字を含んでいるのである(治の漢字の形についてね)。
この中国語が暗示するところは、政治と水のコントロールは近しいものであり、関連付けられるものであるということである。
そうした考え方は、人間は水なしでは生きることができないから水は当然人間の基本的権利であり、
できることなら無償で誰もが利用可能であると利用する世界各地の一般的な見解と対称を成しているのである。
この中国語の文字は、より有益な手掛かりを示している。

数多くの地域において、水はさらなる供給不足に陥っている。
そういう状況下であるにもかかわらず、水不足は深刻化するのである。
世界の大河の中には、もはや海に届かないものもあるのだ。
多数の都市では給水制限が実施されているのである。
干ばつや洪水の激しさがより増しているのだ。
これらの問題には政策が必要なのである。
理論的には効率的な水の使用は水に料金を課すことで促進されるだろうが、そうして試みは多くの場合政治的に不可能であることが判明しているのだ。
より実行可能な代案は取引可能な代案は、取引可能な水の使用制度なのである。

かつては、カルフォルニアや干上がったアラル海あるいはサハラ周辺といった、分離的で特定の地域に限定的な難事とみなされていたものが、
現在ではより世界規模での問題としての様相を帯びてきているのである。
P52の記事が説明を加えているように、水の~?
人口増加・気候変動・としかそしてとりわけ食事の変化といった世界規模の原因があるのである。
1kgつまり、2.2ポンドの野菜を栽培するには2000リットル・530ガロンの水が必要であるが、
1kgの牛肉の生産には15000リットルの水が必要なのである。
しかも、人々は以前よりもたくさんの肉を食べるようになってきているのである。
これらの問題もまた、世界的規模での影響をもたらしているのである。

新たな緑の革命が行われなければ、農家は今から2025年までに生まれてくるさらなる20億もの人間を養うため、1.6倍もの水が必要となるだろう。
しかしながら地球規模でいえば、水はまったく不足していないのである。
石油のような他の天然資源とは異なり、水は使いつくすことが出来ないのである。
水は雨や雪として、あるいは蒸発して営々と再循環するのである。
概して人は雨や雪の年間降雨・降雪量の1/10以下を自分たちが使用する目的で水を搾取しているのである。

重要な問題は、非常に大量の水が浪費されていることであり、その大部分が農家によるものである、ということである。
農業部門では世界で使用されている水の3/4を使用している。
都市部での水の使用はささいなものである。
多くの人は概して1日あたり2~3リットルの水を飲んでいるのであるが、消費される食べ物の生産には2000~5000リットルの水が使われているのだ。

水は通常無料なので、アルファルファのような大量の水を消費する作物が異常なほど乾いたカルフォルニアで栽培されているのである。
インドやブラジルの小麦はアメリカ・中国の米に比べ、2倍の水を使用しているのである。

上限を定めれば、取引をするだろう。

ひとつ解決法がある。
オーストラリアの農家には一定量の水を無料で使う権利があるのである。
農家は“使用権”と呼ばれる権利を他の農家に売り渡すことができるのである。
しかしながら、もっと大量の水が自分にとって必要な場合には、近隣の農家から“使用権”を購入しなければならないのである。
こうした取引の結果が、一市場となっている。
市場とは、市場が果たすべきこと、つまり、資源をより生産性の高い用途に配分することを、実際に、これまで果たしてきたのである。
オーストラリアはこの10年間、現代史上最悪の干ばつに耐えてきたのである。
一部の農業地帯では、水の供給が半減したのであった。
しかしながら農家は、この新たな市場の合図について、あまり水を消費しない農業作物で応え、農業産出高を保ったのである。
この制度が通常の反対を克服したのは、当制度が農家の水の権利を承認しており、(農家が)大量の水を入手可能になったからである。

取引可能な水の使用権には別の利点もある。
:そうした使用権は中国やインドのような使用権をはかる計量器もなく、使用権を実施するしっかりとした法整備もしっかりとした大国において、
 大雑把でありながらすぐに使うことができるやり方なのである。
そうした使用権に確固とした高度なインフラがなくとも、その土地の信用・認識に依存しているのである。
:農家は村の給水機のところで自分の割り当て時間を売り渡しているのであり、この制度はパキスタンのパンジャブ地方でも機能しているのである。

取引可能な水の使用権には欠点もある。
(非効率的であることが多い)既存の水の使用パターンを最初は承認するのである。
オーストラリア人が見出したように、農家は不正行為を犯す可能性があるのだ。
水の使用権はせいぜい良いスタートにすぎないのである。
けれども、水の使用権は、時々おこる給水割り当てや、大難局の脅威がある現状と比べればましなものだろう。
さもなければ、次に起こるであろうことは、強制的な菜食主義への集団的な天候になりかねないのだ。


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