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社会政策論レポート試作

2009年11月30日

 工場法から労働基準法へ。そこには労働者が資本家に対して反抗してきた流れがあり、また日本が世界との関係を良く保つため(国際的な批判を受けないため)、法を作っていく意思を感じ取ることが出来る。
 日本は日清戦争(1894~1895)・日露戦争(1904~1905)と二つの大国に運良く勝利するも、そこで得たものは払った犠牲と比べれば微々たるものであった。労働者は不満を持ち、資本家は先進諸国の仲間に入らなければ、これからも嘗められ続けてしまうと考えたはずだ。そこでイギリスの工場法等を参考に日本の工場法(1911)を策定する。しかし、最低就業年齢(12歳から)休日は月二日(15歳未満or女性のみ)等と、今現在となっては当時の労働の過酷さを裏付けるものと取ることもできるものであった。
 そして第一次(1914~1918)・第二次(1939~1945)世界大戦を経験。その直後に労働基準法が制定される。ここにきてやっと成人男性の労働時間基準も決められ、休日・休憩も増加する。1987の労働基準法の改定により、“支配者の意思が重視された統治手段”と云われてはいるものの、時間外労働・休日労働についての36協定、割増賃金について等ろうづしゃはそれなりに働きやすくなったのでは、と私は思う。
 こうして工場法と労働基準法(改定を含む)を比べていくと、労働環境が改善されていく過程はもちろん、日本という国の歴史についても見えてくるものがあるのだなぁと私は感じているところなのである。
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