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死生観を問いなおす 【★★★★★ rank S 】No.294

2010年08月08日

死生観を問いなおす (ちくま新書)(2001/11)
著 広井 良典
社 ちくま新書
Ex 

絶対的な無=絶対的な有

死生観について考えるということは、
時間とは何かを考えるということ。
(要再読・再編集)

◎目次
プロローグ――死生観と時間
 ターミナルケアと死生観/死生観の空洞化/大学での経験から/死生観と時間/「永遠」とは/本書の構成と流れ

第一の旅 現象する時間と潜在する時間
 1 時間の誕生
   時間への問い/時間の実在性/時間はいつ生まれたか
 2 深層の時間へ
   Colour of Time 時間の色/瞬間とその解体/コスモロジーの発見――現象する時間と存在する時間
   モネとマッハの接点/「過去を見る」ということ/時間という色眼鏡/再び時間の始まりについて/再び時間と永遠

第二の旅 老人の時間と子どもの時間
 1 ライフサイクルの意味
   人間のライフサイクルの特質/人間の三世代モデル/人間の創造性と老人・子ども
 2 老人と子ども
   老人と子ども――『夏の庭』/生と死の宇宙――『キャミーの八月』/老人・子ども・時間
   聖なる時間と遊びの時間/「聖―俗―遊」と老人・子ども/遊びの時間と聖なる時間の復権

第三の旅 人間の時間と自然の時間
 1 エコロジカルな時間
   意識の変化/エコロジカルな時間/時間の生物学と時間の経済学
 2 自然の歴史性
   私にとっての過去と時間/人類にとっての過去と時間/自然の歴史性
   自然の時間への通路/「待つ」ことの意味――農耕の時間と工業の時間
 3 私の有限性、自然の有限性
   「私の時間」と「コミュニティの時間」/別れとしての死、無としての死/再び自然の歴史性

第四の旅 俗なる時間と聖なる時間
 1 宗教と死生観
   哲学/科学と宗教のあいだ/宗教をめぐるいくつかのレベル/宗教のふたつの本質/幸福の神義論と苦難の神義論
 2 死生観と時間
   直線と円環/日本人の場合――輪廻転生への肯定感と自然親和性/輪廻からの離脱――仏教/キリスト教の時間と仏教の時間
 3 キリスト教の時間と仏教の時間
   キリスト教と仏教/罪と苦/根底にある相違は何か/時間との関わり/「メッセンジャー」としてのイエスとブッダ/ケアとの関係
 4 「永遠」の意味
   ふたつの「永遠」/時間と永遠の関係/三つのモデル/永遠を見出す「場所」/永遠の意味/永遠とは/死とは

あとがき
参考文献



「時間が存在することが自明である」とか「生=有、死=無」でもないらしい

本書の肝は第1~3で時間について考えた上での第4章。キリスト教と仏教の時間“永遠”に対する考えから両者を比較するが、思わぬ(?)結論に導かれてゆく。宮崎哲弥氏によると、細部(仏教の特筆点とか)に論の甘さ、知識の欠落があるものの、数年に一冊という本質的なことだけが書かれた名著だとのこと。



<まとめ>
・今、この死生観が、特に若い世代で空洞化していると感じる。それは死の意味が分からないということであり、同時に「生の意味づけ」がよく見えない、ということではないか。
・そして、死生観の核心とは、実は「時間」というものをどう理解するかなのではないか
以上の2点から筆者は本書を書くことにしたらしい。ちなみに、本書における「死生観」は「私の生そして死が、宇宙や生命全体の流れの中でどのような位置にあり、どのような意味をもっているか、についての考えや理解」という意味で使われる。一般的な意味と同じだと思うが、念のため。

第一の旅 現象する時間と潜在する時間
・時間はいつ生まれたか?宇宙誕生と同時に「時間」も発生したとするなら、この宇宙は「時間のない世界(無・時間性)」の中にぽっかりと浮かんでいる島のようではないのか。一定の時間が存在するという前提があるからこそ、瞬間は意味を担うのであるから「瞬間の連鎖」として時の流れがあるわけではない。
・地球からは8.6年前のシリウスと16年前のアルタイルを同時に見ることができる。これは宇宙の「異なる時間」を見ているということでもある。
・ニュートンは「絶対時間・絶対空間」に沿って理論を展開し、カントは“時間というものは「世界そのものの側」に存在せず、認識する「人間の側」にあるもので、世界を見る際の枠組み、色メガネのようなもの”と説いた。しかし、アインシュタインの相対性理論によって、各個人の時間すらバラバラとなり、“色メガネ”すら存在しないことになる。

第二の旅 老人の時間と子供の時間
・生物のライフサイクルは①成長期(生~子供)②生殖期(大人~産卵)③後生殖期(産後~死)で区分される。他の動物と異なり、ヒトは③がとても長い。
・性から自由な①と③こそが・・つまり長い子供と老人の時期を持つことが・・人間の創造性や文化の源泉であるとは考えられないのだろうか?
・子と老人は時間的に対極(子[生]→老[死])位置するのか、隣り合わせの関係(老→[生&死]→子という円環)にあるのか?
・また対極・隣り合う関係それぞれにおいて、子供でも成人でも老人でもない、生と死のふれあう場所、「聖なる時間」の位置づけとはどのようなものだろうか?

第三の旅 人間の時間と自然の時間
・さて、第一の旅より、この世界や宇宙を流れる「時間」はひとつではなく、生物の種だけ異なる時間が存在することになる。
・そのことを踏まえ、宇宙や生命の歴史を単に「一本の長い時間上のできごと」としてとらえず、「時間の重層的な重なり」としてとらえることはできないのか?
・また、人類はもちろんのこと自然や宇宙も変化し、死んでゆくものならば、「永遠」のものとは何だろうか?

第四の旅 俗なる時間と聖なる時間
・「永遠」について考えるため、高次の宗教について考える。
・宗教の本質は
 1)「永遠」の位置づけ――「死」の意味への問い
 2)存在の負価性   ――世界の不条理性や「苦悩の正常性」 にある。

・例えば、高次宗教であるキリスト教と仏教を「時間」・「永遠(超時間)」という点から見ると以下のような違いと共通点が見えてくる。

             キリスト                仏
 時間観       直線的(終末論)           円環的(輪廻転生)
 罪苦への理解   自由意志→審判→愛と赦し    業(カルマ)→応報→慈悲と赦し
 世界への態度   超越(外へつきぬける       内在(内へつきぬける
             超越点から世界の把握)     宇宙生命との一体化)
 神          存在(父的)             不在(母的)
 共通点       現世への負の意識
            原罪                  けがれ

 共通点は「永遠」(超時間)への志向(永遠の命・解脱)であり、「生」の価値の再付与。
・仏教が志向するのは「時間の生まれる以前の世界」であり、キリスト教が志向するのは「“時間の生まれる以前の世界時間”を前提としつつそれを超え出た世界」である。仏教は時間の根底にあるもの、キリスト教は時間という存在を認めつつ時間の境界の果てにあるもの・・とそれぞれ異なる志向を持っているものの、「時を超えた存在」になろうとしている点では重なるのである。

 a)現在充足性に特化 → 仏教
 b)未来志向性に特化 → キリスト教

・人にとってa・bの特性は両方必要なもの。ならば、ある個人がキリスト教徒であり、かつ仏教徒であることは可能ではないのか?
・「死とは(ないし永遠とは)、有でも無でもない何ものか」ということ。
・私たちの世界は見えない部分も存在するとみなして成立している(立体なら、見えないところも補って考えてるってこと)。
 他のものが存在しなければ、それが何かも分からない。つまり相対的なものがこの世界である。
 「白色」といっても、他の色が存在しなければ「白」であるのかどうかすら分かり得ない。

・完全な無というものは「無」であると分かる点において、完全な有でもあるのだ。
 つまり、私たちは 生=有 死=無 と考えているが、そうではなく、

 生=「相対的な有」と「相対的な無」の入り混じった世界(=時間のある世界)
 死=絶対的な無=絶対的な有

 ・・ではないのか。
 死はただの無ではない。絶対的な無であり、絶対的な有である。
 それは時間のある世界ではありえないものである。
 時を超えた存在という点では、死は「永遠」に属するものであるといえるのだ。



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不幸論 S
ゾウの時間・ネズミの時間 B
◇生物と無生物のあいだ


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