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カラシニコフ自伝 【★★★☆  rank B+】No.290

2010年08月07日

カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男 (朝日新書 106)(2008/04/11)
著 エレナ・ジョリー(聞き書き)
訳 山本知子
社 朝日新書 106
Ex 副題:世界一有名な銃を創った男

AK(アフタマート・カラシニカヴァ)=カラシニコフの自動小銃
47=1947年モデル
AK47系の銃の愛称、「カラシニコフ」。
彼が発明したAK47は今や世界に1億丁ほどもあるといわれている。
コピー品も含めればAKシリーズは5億丁とも・・。
(追記:2013年12月23日、満94歳没。ミハイル・カラシニコフ ~ Wikipedia

◎目次
地図
凡例
はじめに――恐怖と栄光の日々

第一章 隠された悲劇
 追放農民/脱走――さらば、シベリア・・・

第二章 一介の兵士から銃器設計者へ
 最後から二人目/病院こそ我が大学/「カラシニコフ軍曹を助けよ」

第三章 AKの誕生
 「ミヒチム」プロジェクト/「二〇二五年まで、そしてそれから先も・・・」

第四章 唯一の銃器
 銃の規格統一を目指して/さらなる一歩

第五章 ソ連・ロシアの指導者たち
 最高会議代議員としての日々/クレムリンの内部

第六章 祖国と外国
 イジェフスク/さまざまな出会い

第七章 雑記

訳者あとがき
カラシニコフ略歴


帯文句は『流刑農民の息子にして一兵卒上がりの「設計屋」が、AK47一丁で国家的英雄になるまで』

最近、こんな動画がランキングにあったので。・・・コメントが痛々しい。夏だなぁ。


日本円にして一丁が13000円(紛争地では5000円とも)と格安で、分解しても部品は8個だけというシンプルさ。
そしてそのシンプルさのおかげで、砂が入ろうが泥水に浸そうが、はたまた車に踏まれようがなかなか壊れない耐久性。
そんな名銃とされるのがAKシリーズであり、その初期作がAK47である(・・らしい)。

この銃は設計者の手を離れ、一人歩きしてしまっている。
かつて祖国のために創ったAKが、祖国の民を殺していたり、ビン・ラディンが持っていたり。
そのことをカラシニコフ本人はどのように思っているのだろうか?

 戦争も軍隊もない世界は確かに理想だ。その理想に向けてあらゆる努力がなされなければならない。だが、軍隊なしで、はたして平和を維持することができるのだろうか?とても難しいと私は思う。
 私がつくり、私の名前を冠した銃は、私の人生や意思とは無関係にひとり歩きしてしまった・・・。もちろん、カラシニコフ銃を手にしたビンラディンの姿をテレビで目にするたびに憤りを覚える。だが、私に何ができる?テロリストも正しい選択をしているのだ。一番信頼できる銃を選んだという点においては!(P162)


・・・このあたりも含めて本人の語りをまとめられたのが本書だ。

射撃精度の観点からは、カラシニコフ銃は現代の突撃銃のなかでもっとも性能が高いとは言えないが、構造が単純なため、兵士たちが容易に理解することができる。兵士が自分の銃を愛するためには、まず仕組みを理解し、それが自分を裏切らないことを知る必要がある。それが、つねに追い求めてきた目標だ。(中略)そして、私はこれまでの生涯をすべて費やしてその改良に努めてきた。不幸なことに、世の中が銃を必要とし続けているからである。人類最後の日まで、銃が地球上から姿を消す日がないことを、私はよく知っている(P236)


誰でも簡単に扱える銃が誰でも簡単に手に入るようになったがため、
プロの「兵士」が増え、子供兵の誕生にも手を貸すことになってしまうのだが・・



<まとめ>
 カラシニコフは農家の生まれ。だが「富農撲滅運動」により一家全員がシベリアに追放されてしまう。
 彼はそこから実家まで1000kmを持ち前の 粘り強い精神力 をもって歩き、帰り着く。
 鉄道の仕事をして食いつなぎ、赤軍へと徴集され、前線に出るも負傷、病院で銃開発の本を読み独学し
 ・・・そしてついには将軍開発の銃をおさえ、カラシニコフの銃がコンペに通り正式採用され、量産されることになる。
 思考錯誤の後とはいえ、AK47は設計から約2年(実質1年)という驚きの早さでの採用であった。
 一兵士が銃器設計者として成功したのである。開発・改良に苦労してきた日々が報われたわけだ。
 時は経ち冷戦も終わり、政府も変わるが、彼は設計を続ける。

 AKの特許は、すべて国に渡している。

 彼個人は依然として、売買された銃器からは一コペイリカたりとも受け取っていない。今や月10万の年金生活である。
 今彼の悩みは、AKが一人歩きしていること、やる気のない若者の様子、祖国の不景気、最近作ったモグラ捕り器の改良についてだ。

 “だが、それは銃を管理する者の問題だ。私は祖国を守るため、より良い銃をつくろうとしただけだ・・”

私は自分の道を歩んだ。それは正しい道であったと、思っている。
(中略)私は武器設計者になったのだ。それを後悔することはないだろう。私は何があろうともロシアを愛している。
たとえその過去、そして現在の相次ぐ混乱に、胸が痛んだとしても。(P241)


彼はもう92歳(2010現在)。家族も友も去った今だから話せること(追記:2013年12月23日 満94歳没)。

武器製造ほど秘密が求められる分野はないからだ。
(中略)信じられないかもしれないが、子供たちや孫たちや、もっとも近しい肉親にさえ、このような過去を語ったことはない
(中略)ペレストロイカのおかげで、自分の過去に正面から向き合い、後ろ指を指されることを恐れずに、親しい人々に過去を語ることができるようになったのだ。(P63)


彼を支えたのは幼いころから持つ“粘り強い精神力”であった。



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