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ハル、ハル、ハル 【★★☆   rank C+】No.271

2010年08月09日

ハル、ハル、ハル (河出文庫)(2010/07/02)
著 古川 日出男
社 河出文庫

Ex 帯:太田光(爆笑問題)オススメ

文章がかなり前衛的。
筆者が意図した“生きている文章”であるかもしれないが、
その意図が先行することでかえって迷走しているのでは?とも。

◎目次
ハル、ハル、ハル
スローモーション
8ドッグズ


まずはじめに。

古川日出男の圧倒的最高傑作


なんて妙に派手な帯文句に騙されるな!この著者に絞ったとしても、他に良い本があるじゃないか!
せめて 最高実験作! と書いておけば間違いはなかった。売れはしなかっただろうけども。

新しい文体を実験してるってことは分かる。過去作と比べたら一目瞭然。以下内容は表題作について。
『ハル、ハル、ハル』の特徴は以下3点。
1 見開きにおける会話の割合の高さ
2 頻繁な話者の切り替え
3 徹底された一文の短さ



1 見開きにおける会話の割合の高さ
 表題作の約半分は登場人物の会話で構成されていたりする。一言会話ばかりなので文量としては少ないかもしれない。しかし、見開き紙面における会話の平均割合を考えると 普通の小説が10~30% のところ、表題作は40% となっており、異色さが際立っ。さらに会話文以外の状況説明部分も主人公の一人称視点による話し言葉となっているので、ほぼ100%は会話文なんじゃないのか?とまで思わせる徹底ぶり。

2 話者の切り替え
 さらに、その会話の仕方までもが変わっている。ふつうなら各人物にそれなりの説明をさせたりするものだが、これは違う。一言(一行)ごとに話す人物を切り替えながら、かつ説明文をあまり挟まずに、物語を展開させていくのだ。これもまた独特な、前衛的だなぁと思わせる理由。

 あまりに話し手を切り替えまくると読者が混乱してしまうため、ふつうは避けるところだ。混乱回避としては、早めに地の文で挟むことで区切る(基本)、 話し方に色をつける、 話す内容・話者の考え方に明確な違いをつける、 「~と言った」と追加する、 会話後に行動させる等で対応する。
余談だが、ひぐらし等でキャラごとに語尾を変えているのはキャラを濃くすることでこの混乱を避けるためでもある。またひぐらしに限れば、主要人物中では唯一の大人の女性となる鷹野さんの大人っぽさを強めるためでもある。まぁ現実で かな? とか にぱー☆ などと言おうもんなら捕まらないにせよハブられるな。
 本書の 「○×」と晴臣は言う。 や 「△□」と弟は言う。 に注目しながら読むと面白いかもしれない。多くの場面で省略しておきながら、読者が混乱してくるかな?というあたりで誰が話しているのかの情報を埋め込んでいるのだ。普通に読み流していれば気づかないかもしれないが実は親切設計になっているんだな、これが。見えてるけど、読んでると見えない情報。 ↓ を反転することでもとの文に戻る。

「それでペテンを仕掛けるのね?」と三葉瑠が言う。
「同僚を蹴落としちゃったり」
「あ、蹴り」と晴臣が言う。
「蹴り?」と悟は言う。
「そうだ、だいたい何キロかわかりますか?」
「何が・・なぁにが何キロ?その、少年よ。オミ君よ」
「オミでいいです」と晴臣が言う。
「おれ、脅されてる立場だから、いくらなんでも呼び捨ては」
「だったらオミ君で」
「あら、ため口だっていいのよ」と三葉瑠が言う。「だって息子だものね、お父さん」
「おれね、息子はいたことないんだけど」と悟は言う。
「娘は?」と三葉瑠が言う。
「・・いたけど」
「いた?って、過去形?」
「犬吠までの距離です。ここから何キロか」と晴臣が言う。
「過去形かぁ。それって複雑な事情だわね」(P56)

この前後も会話文がずーーっと続く。ここは特に話者が誰かの情報が沢山あるので取り上げてみた。というか書くのが面倒くさくなったのでここで止めた。抜粋するといちいち “~は言う。” とあるのが分かるが、読んでいるときは気にならない。もしここで書き手が意識しすぎて言い換え(~とAは言う → Aは~とBに聞く → ~とAが返事をすると)を多用していたら読むスピードが止まっていたことだろう。
 本当に実験とするなら地の文は完全削除でやっても良かったかもしれない(反転前)。ここは3人登場するために情報をより示す必要があるわけだ。もちろん、2人のときは情報の省略が顕著になる。

「僕ね」と弟が言う。
「このポテト、お前にやるから」と晴臣は言う。
「またファミレス、行けないかな」と弟は言う。
「ちょっとな、節約を真剣にやらないと、だめなんだよ」と晴臣が言う。
「だめなの?」
「東京都がおれたちを追い出しに来るよ」
「どうして?ヤチン?」
「そうだ。あれは滞納すると、ばれるんだ。おれたちのことが、ばれるんだ」
「そうだね、そうだね。僕ガマンするよ。僕たちいっしょにいるためにガマンするよ。それでね、お兄ちゃん僕ね」
「ああ、どうした?」
「ケータイでゆーほーをとったよ」
「撮った?」
「うん。でも写ってなかった」
「UFOってな、未確認飛行物体っていってな、だから確認ってのが難しいんだよ。お前に撮れないこと、あるよ」
「そうか。そうだね、僕にだってあるね。それは安心だ」
「どこで見たんだ?」
「何?」
「ゆーほー」
「ふふふ」
「お、秘密にするのか?」
「だって本当だもの」
「だろうな」
「だから、本当のことだから、隠すの」
「お兄ちゃんにも教えないのか?」
「こんどね」
「こんどか?」
「きっと、こんど、教えるね。だってお兄ちゃんだから」
「秘密もいっしょだな?」
「いっしょだよ」
あと2。(P10)

こんな感じで交互に話すなら省略しても問題ないことが分かる。たまに同じ人物が連続で発言することもあるが、わざわざ気にして読むほどでもない。


3 徹底された一文の短さ
 主人公の置かれている状況も主人公による話し言葉でされるので、実質のところ説明文は皆無となっているのも特徴だ。おそらく、説明部分ふくめて一文を本における一行(つまり40字)以内で収まるよう調整されているものと思われる。修飾語をつける余裕はない。主人公が思ったことをそのまま感覚的に文にした・・これが著者の意図した“生きている文章”なのだろう。いわゆるtwitter廃人のログを眺めているようだ。後半の57行全て一言ずつの会話文とかどうかしてるって。



以上3点において間違いなく、実験作なのだ。これが成功か失敗か判断するのは読み手による。

会話文が多く、話者を頻繁に切り替え、(数少ない地の文を含めて)一文が短い。

これらの特徴を持つ本書は、現実世界・・それも実在する舞台を利用した物語なので説明せずに済んだ面がある。仮に架空の舞台であったならこうはいかない。どうしても状況をしっかり説明する必要が出てくるからだ。
地の文でじっくり詳しく状況を説明できない以上、登場人物にしっかりとした計画を立てたうえでの思考・行動をさせることも難しくなっている。もちろん主人公の事情・内面も読者側には伝わりにくく、感情移入しにくい。というかする暇がない。

ハル×3の文体が活きるのは 既に世界観や主人公の状況説明が出来ており、かつ登場人物が少なく(または各キャラが濃い)、登場人物が考える暇もないような危機的状況に陥ったとき ・・なのかなぁ。
晴臣は親に捨てられてお金もない・・と危機的状況ではあるんだけど、状況説明が薄くてその危機感が伝わりにくかったような気がする。個人的にはこの文体だけで一作品作ったというのはやはり実験という他ない。

正直なところ、ハードカバー版だと値段が高すぎる。
文庫版なら値段も手ごろに感じられるが、実験作を買うくらいなら同著者の『アラビアの夜の種族』等をオススメする。
文章も前衛的で変わってて頭の片隅に残るが、かといって人には薦められない微妙な立ち位置の一冊。

<関連記事>
◇アラビアの夜の種族(I~Ⅲ総合)
◇ベルカ、吠えないのか?
◇サマーバケーションEP

<関連リンク>
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